灯油、ジェット燃料及びロケット燃料〜ケロシン〜

  • 2024年05月02日
#今日の発明

 今日(5月2日)に関連する発明を紹介しようと思います。5月2日は、カナダの発明家、地質学者のエイブラハム・ゲスナー(Abraham Pineo Gesner、1797.5.2〜1864.4.29)が生まれた日です。

 エイブラハム・ゲスナーは、発明家であり、地質学者でもあります。1842年、エイブラハム・ゲスナーは、ユネスコの世界遺産に登録されているミグアシャ国立公園で最初の化石を発見しました。

 そして、1846年、エイブラハム・ゲスナーは、後に石油工業の父と呼ばれましたが、プリンスエドワード島で石炭の乾留による新しい照明用の油を精製し、これをケロシンと名づけました。また、1850年代に、エイブラハム・ゲスナーは、石油から灯油を蒸留する処理工程を発明しました。

エイブラハム・ゲスナー
(写真はトロント大学「Dictionary of Canadian Biography, vol. 9」から引用)
Loris S. Russell, “GESNER, ABRAHAM,” in Dictionary of Canadian Biography, vol. 9, University of Toronto/Université Laval, 2003–, accessed April 11, 2024, http://www.biographi.ca/en/bio/gesner_abraham_9E.html.

 ケロシンを主成分として作られるものに、灯油、ジェット燃料、ケロシン系ロケット燃料などの石油製品があります。ケロシンは、灯油の中でも、より純度が高く、水分が少ないため、上空1万mでも、凍らずに飛行機の燃料になるようです。

 私は、祖父母が1990年代、2000年代に灯油のストーブを使用していたのを見たことがあります。灯油ストーブは、パワフルで、暖房機能だけでなく、やかんでお湯を沸かしたり、お餅を焼いたりすることができます。電気ストーブもいいですが、電気を使用しない灯油ストーブは、高い熱効率を実現し、また停電時に使用できます。人類の長い歴史のなか、時代とともに人々の生活を豊かにする発明をしてくれた先人に感謝です。(ラズベリー)

「石油の開拓者たち」、著者村上勝敏、論創社、1996
JAXA公式コミュニティサイト:https://fanfun.jaxa.jp

点字ブロック

  • 2024年03月18日
#今日の発明

 今日(3月18日)と関連の深い発明について紹介します。今回紹介するのは、点字ブロックです。3月18日は、1967年、世界で初めて点字ブロックが設置されたことにちなみ、「点字ブロックの日」と定められています。

点字ブロック

 点字ブロックはよく目にするものの、日常風景の一部と化し、特に意識することは少ないかもしれません。日本弁理士会がダイバーシティ&インクルージョン推進を宣言(PDF)するなど社会的な意識も変容しつつある今、自戒の意味も込め、少し調べてみました。

 点字ブロックは、正式には視覚障害者誘導用ブロックというようです。いうまでもなく視覚障害者に歩行に必要な情報を提供するためのもので、歩道や床面に敷設されています。

 点字ブロックは、安全交通試験研究センターの初代理事長、三宅精一さんが1965年に発明しました。1967年3月18日、岡山県立岡山盲学校近くの旧国道2号、原尾島交差点の横断歩道付近に230枚の点字ブロックが世界で初めて設置され、これが、冒頭で紹介した「点字ブロックの日」制定につながります。

 点字ブロックはその有用性から多くの国々で採用され、設置が進みました。2012年には点字ブロックに関する初の国際規格ISO23599が整備されるに至ったようです。

 点字ブロックのような発明をもたらした先人たちに感謝するとともに、今後もこのような発明が数多く生み出され、世界が誰にとっても生きやすい場所になることを願ってやみません。(blink)

安全剃刀

  • 2024年01月05日
#今日の発明】 【#特許

 今日(1月5日)と関連の深い発明について紹介します。今回紹介するのは安全剃刀です。1月5日は、アメリカ合衆国の実業家・発明家で安全剃刀の発明者、キング・キャンプ・ジレット (King Camp Gillette)の誕生日です。

 安全剃刀といえば、貝印やフェザーもありますが、すぐに思い浮かぶのはジレットかシックでしょうか。ちなみに私は毎朝シックのエクストリーム3を愛用しています。使い捨て商品ですが、割と長く使えます(笑)

シック エクストリーム3

 ジレットは1855年、ウィスコンシン州で生まれ、イリノイ州シカゴで育ちました。セールスマン時代、雇い主が「使い捨て製品を発売すれば客が安定する」と言ったことをきっかけに使い捨て剃刀の発明を思いつきます。その後替刃式安全剃刀の開発に乗り出し、1901年9月にはジレット社を創業。同じ年の12月に特許出願し、3年の審査期間を経て、特許を取得しました。

特許庁J-PlatPatで検索してみたところ、情報は出てくるものの、残念ながら「指定された公報は存在しません。」となってしまいました。しかし、Google Patentsで検索してみると、公報も入手できました。)

 製造販売を開始した1903年の業績は振るわなかったものの、飲料のオマケとして無料配布したことをきっかけに業績を伸ばし、1918年には米国政府から第一次大戦従軍兵のための剃刀と替刃を受注するなどし、ジレット社は世界最大の剃刀メーカーに成長しました。

 ところで、今日では、ジレット社が切り開いたともいわれる事業戦略Razor and blades model (剃刀と替え刃のビジネスモデル)が知られています。これは、消耗品など補完的な商品の売上を増加させるため、中心となる商品の価格を抑えて販売する (または無料で提供する)というもの。現代でも、インクカートリッジの価格が大幅に上昇したインクジェットプリンタ、専用のカプセルやポッドを購入して使用するコーヒーマシン、電動歯ブラシ…などの事例があります。皆さんも心当たりがあるのでは?私はここに挙げた全部、持っています(笑)

 ともあれ、画期的な発明をしただけで成功するほど甘くはないということでしょうか。それまでになかった新しい市場を創り出した先人達の奮闘ぶりを参考にしたいものです。(blink)

二段鍵盤ピアノ

  • 2023年10月20日
#今日の発明

 今日(10月20日)と関連の深い発明について紹介します。今回紹介するのは、まるでチェンバロのような二段鍵盤を備えたピアノ「エマヌエル・モール式ピアノフォルテ」です。

MIM Double Manual Piano CN5266

 1931年の今日は、ハンガリーの作曲家・ピアニスト・楽器発明家であるエマヌエル・モール(Emánuel Moór)が亡くなった日です。モールは5つのオペラや8つの交響曲などを遺した作曲家ですが、楽器の発明でも知られ、中でも二段鍵盤ピアノが有名です。

Emánuel Moór

 モール式ピアノは、片手で2オクターブの音程を掴めるように、鍵盤を上下2段に重ねたものです。私も若い頃ピアノを習っていましたが、確かに片手で2オクターブ幅の和音を出せれば、表現の幅がぐっと広がりそうな気がします。モールは欧米で行った演奏旅行で積極的にモール式ピアノを用いて普及に努めたとのこと。

 さらに調べてみたところ、二段鍵盤ピアノに関する記事を見つけました。その記事にはピアノという楽器の発達段階でさまざまな変形ピアノが開発されては消えていった経緯がコンパクトに紹介されています。

 普段、楽器を発明として捉えることは少ないと思いますが、楽器もまた、まぎれもなく発明の歴史、技術史の一部なのだなと感じました。(blink)

タクマ式ボイラ

  • 2022年08月10日
#今日の発明】 【#特許

 今日8月10日と関連の深い発明について紹介します。今回紹介するのは、明治生まれの実業家、発明家であり、株式会社タクマの創業者の田熊常吉(1872.2.8~1953.12.22)が発明した「タクマ式ボイラ」です。

 田熊常吉は107年前(1915年(大正4年))の今日、当時の農商務省外局であった特許局に、我が国初の国産ボイラーであるタクマ式ボイラの特許を出願したとされています。なお、1912年に発明し、翌年特許取得、との情報もあります。
 田熊常吉は30代に材木商として成功した後、ボイラー製造事業に出資して失敗、多額の負債を負いました。しかし、その後独力でボイラー開発を行い、タクマ式ボイラの完成に漕ぎ付けます。これにより、外国製ボイラーの輸入に歯止めがかかるほどの成功を収めたとのことです。

 1936年、田熊常吉は自宅に田熊常吉研究所を設立しました(現・株式会社タクマ)。株式会社タクマは現在、毎年10~30件規模の特許出願を行う研究開発企業となっています。

関連リンク
1. 8月10日 – Wikipedia
2. 田熊常吉 – Wikipedia
3. タクマ(企業) – Wikipedia
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飛行機械

  • 2022年05月23日
#今日の発明

 今日5月23日と関連の深い発明について紹介します。今回紹介するのは、プロイセンに生まれたドイツの発明家であり、航空技術のパイオニアとして名高い”The flying man”オットー・リリエンタール(Otto Lilienthal, 1848.5.23~1896.8.10)が発明した「飛行機械」(Flugapparat, Flying machine)です。オットー・リリエンタールは174年前の今日、プロイセン王国ポメラニア地方アンクラム(現ドイツ連邦共和国メクレンブルク=フォアポンメルン州)で生まれました。
 設計技師となったオットーは、1867年、弟グスタフとともに有人飛行の研究をはじめます。普仏戦争に従軍した時期を除き、ハンググライダーの開発等を精力的に行いました。1891年の実験開始時点では飛行距離は25m程度でしたが、1893年には250mにまで飛行距離を延ばし、1894年には米国で特許も取得しています。合計2,000回以上もの飛行実験を行いましたが、1896年に墜落事故を起こし、頸椎損傷で亡くなりました。

 リリエンタールは飛行実験だけでなく、蒸気機関の開発等を行ったことでも知られています。その蒸気機関は当時の小型蒸気機関の中でも安全性が高く、得られた利益を飛行実験の資金に回すことができました。生涯で25件の特許を取得し、うち4件が飛行技術関連です。
 リリエンタールの飛行実験は母国ドイツだけでなく世界中で広く報道されたため、世間の注目を集めました。あのライト兄弟に刺激を与えるなどさまざまな影響を残し、現在の航空技術に繫がる礎を築いたといえそうです。

関連リンク
オットー・リリエンタール – Wikipedia

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テレビゲーム

  • 2022年03月08日
#今日の発明

 本日、3月8日と関連の深い発明について紹介します。今回紹介するのは、ドイツ生まれのアメリカ人発明家ラルフ・ヘンリー・ベア(Ralph Henry Baer、1922年3月8日~2014年12月6日)が発明した家庭用ゲーム機です。ラルフ・ベアはちょうど100年前の今日、ドイツ南西部ピルマゼンス(Pirmasens)で生まれました。

 ユダヤ人であったため、ナチスのユダヤ人迫害が激しくなった1938年、家族と共にドイツを脱出。移民先のアメリカでは独学で勉強し、工員として働きます。1943年には第二次世界大戦に召集を受け従軍。戦後、テレビ工学の学士号(1949年)を得てから、彼の発明家としての人生が始まります。

 軍需企業Sanders Associates(現BAEシステムズの一部)で飛行機のレーダーに関する仕事をする傍ら、ゲーム機「ブラウンボックス」などを試作し始めたのは1966年。ライセンスを取得したマグナボックスが1972年に「オデッセイ」として発売、その後のテレビゲーム業界の興隆につながります。しかし、当時最も高収益な事業を生みだしたにもかかわらず、軍需企業Sandersでは評価されなかったとか…。しかしその後も彼の発明意欲が衰えることはなく、生涯で150以上の特許を取得したといわれています。
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関連リンク
ラルフ・ベア – Wikipedia

レーダー

  • 2021年12月05日
#今日の発明

 本日12月5日と関連の深い発明について紹介します。今回紹介するのは、イギリスの電子工学者で発明家のロバート・ワトソン=ワット(Sir Robert Alexander Watson Watt, 1892.4.13~1973.12.5)が発明した防空レーダーです。ロバート・ワトソン=ワットは、48年前の今日、スコットランドのインヴァネスで亡くなりました。

 ロバート・ワトソン=ワットは大学で工学を学んだ後、イギリス気象庁などで無線通信の研究を行いました。その後、ナチスドイツが台頭しつつあった1935年、イギリス空軍省に電磁波による防空用航空機探知システムを提案。2月から実験を開始し、4月には特許を取得、同年終わりまでに探知距離を60マイル(97km)まで伸ばしました。この功績により、1942年ナイトの称号を与えられます。
 この技術をもとに防空レーダー設備が整えられた結果、イギリスは1940年のバトル・オブ・ブリテンに勝利することになりました。その後、彼は、1941年にアメリカに派遣され、防空システムについて助言を行ったとのことです。

 ちなみに、ロバート・ワトソン=ワットは蒸気機関を改良して産業革命を呼び起こしたジェームズ・ワットの子孫(日本語版ウィキペディア)との説がありますが、はっきりとした証拠はないようです(英語版ウィキペディア)。

関連リンク
1. ロバート・ワトソン=ワット – Wikipedia
2. Robert Watson-Watt – Wikipedia

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Dynamic Random Access Memory (DRAM)

  • 2021年09月05日
#今日の発明】 【#特許

 今日、9月5日と関連の深い発明について紹介します。今回紹介するのは、アメリカ合衆国の電子工学者で発明家のロバート・デナード(Robert H. Dennard、1932.9.5~)が考案したDynamic Random Access Memory (DRAM)です。今日9月5日に、89歳の誕生日を迎えています。

 DRAMとは半導体メモリの一種です。放電すると情報が失われるため常にリフレッシュ(記憶保持動作)するための電力を消費することが欠点ですが、大容量かつ安価なため、コンピュータの主記憶装置、デジタルテレビ、デジタルカメラなどに広く使われています。
 現在ではコンピュータの主記憶装置はすべてDRAMになっています。近年では低消費電力に特化したDRAMも登場しています。

 私たちが毎日利用しているDRAMですが、これはデナードが1966年、IBMトーマス・J・ワトソン研究所で構想したものです。翌1967年には特許出願し、1968年に設定登録されました(US3387286A)。デナードは京都賞も受賞しています(2013年)。

 ちなみにトーマス・J・ワトソン研究所とはIBMの研究部門です。デナード以外にも、数学のブノワ・マンデルブロ、物理学の江崎玲於奈など数々の著名な科学者が在籍したことで知られています。

関連リンク:ロバート・デナード – Wikipedia

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江戸時代の発明家 飯塚 伊賀七

  • 2020年12月28日
#今日の発明

 今日(12月24日)と関連の深い発明家について紹介します。今回紹介するのは、江戸後期の発明家、飯塚 伊賀七(いいづか・いがしち)です。1836年の今日は、伊賀七が亡くなった日です。

 同じ江戸時代の発明家としては、オランダ製の静電気発生装置 エレキテルを紹介した平賀 源内が有名ですが、発明家としての評価には異論もあります。

 一方、伊賀七は「からくり伊賀」との異名を取り、庄屋を務めるかたわら、建築・和算・蘭学などを学び、多くのからくりや和時計を製作したほか、なんと、エレキテルを自ら作ったという説まであるようです。

 常陸国筑波郡(現在の茨城県つくば市)で生涯を過ごしたことから、2009年に「ロボットの街つくば」が提唱された際、伊賀七はからくり=ロボットということで「ロボットの街つくば」の原点として紹介されました。筑波研究学園都市の原点といってもよさそうです。

 詳細は、以下のリンク先(Wikipedia)をご覧下さい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E5%A1%9A%E4%BC%8A%E8%B3%80%E4%B8%83

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